本田 哲也(ほんだ・てつや)
◇こべつ学習指導歴38年
◇学習支援 toBe塾主宰歴29年
◇小中学・高校教師への授業法指導歴17年
◇学習セーフティネット研究会世話人歴12年
◇国立大学法人群馬大学教育学部大学院元ゲスト講師
◆東京タワー完成年の3月11日、東京日本橋の印刷・筆職人「鳳林堂(ほうりんどう)」に生まれる
(祖父は吉岡実の詩集《昏睡季節》を印刷した本田鑑一郎)
うお座 O型 身長161cm 体重55.5kg
(小学生)
・TVアニメ「鉄腕アトム」、「鉄人28号」、「エイトマン」、「スーパージェッター」、「巨人の星」に見入る
・ドッジボール、コマ鬼、学研『科学』付録、プラモデル製作に入れ込む
(中学生)
・バレーボール、NHKラジオ講座「続基礎英語」、アマチュア無線に励む
・少年マガジン連載「あしたのジョー」と共生、『ムツゴロウの青春記』を愛読
(高校生)
・生徒会長。全クラス対抗お掃除コンテスト発案
・夢は医療ロボットの研究開発
・『ピエール・キュリー伝』(キュリー夫人著)を耽読
・TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」とNHK大河ドラマ「花神」に見入る
(20歳)
・家の事情で大手技術研究所にて派遣労働
・ルソー『エミール(中)』(岩波文庫)で教育系に転向
(20代前半)
・進学塾講師&家庭教師で学費と生活費を稼ぎ、その25%を実家に仕送りする
・学費安日本一で少人数制の東京都立大学 (現・首都大学東京)人文学部教育学専攻卒業
・指導教官:山住正己/教育科学研究会元委員長、小沢有作/在日・部落・障害者の教育学
黒崎勲/日本教育行政学会元会長、鳴澤實/日本学生相談学会元会長
・卒業論文「遠山啓における反競争原理論の生成過程について」(400字×357枚)
・全盲全聾のバリアフリー研究者=福島智・東大j准教授が、朝日新聞の追悼文「山住正己先生の思い出」で一番に触れた「学生による“地球の授業”」は本田が実施
・発達障碍児の支援ボランティア中に脊椎すべり症罹患
・教育専門誌『ひと』に投稿論考2本掲載
「She English study--家庭教師の立場から」、「誰も書かなかったオチンチンの話」
(20代後半)
・教育フリーランスライターとして 『子供!174人インタビュー集』(晶文社)と、
『子どもおもしろ新聞プルプル全12巻』(ポプラ社) を共著で出版
・進学塾主任講師&家庭教師として小中高/英数国理社のプロ個別指導力を高める
・最短期間に最小努力で最大効果をあげる、一点突破・全面展開の学習指導法
(=臨床教授学)の研究開発を志す
28歳:勉強に困る子の味方になりたい一心で「toBe学習援助室」を開設
33歳:臨床心理士の妻が同所に「toBeこころと教育の相談室」を開設
38歳:初の単著『英語長文読解 ルウレ方式』(メディアファクトリー社)出版(PC画面右に表紙絵)
44歳:塾小中高大の先生方&ジャーナリストと、学習指導の理論と技術を研究開発する
「学習セーフティネット研究会」設立
48歳:単著2冊目『英文法ゲーム104』(メディアファクトリー社)出版
52歳:論考「塾から自己承認感がはぐくまれる」を『そだちの科学14』に掲載
53歳:誕生日の3月11日に東日本大震災
54歳:「本田ゼミ」を学習支援ボランティアの若者たちの発案で開講する
55歳:タイ語版『英文法ゲーム104』がタイで出版される話が入る。著者印税はすべてタイ赤十字に寄付
58歳:論考「自己承認感タマゴを育てる学びのコツ」を資生堂社会福祉事業財団『世界の児童と母性80号』に掲載
・・・以上38年間、6歳から70歳まで延べ600人以上を個別学習援助してきました
◆テレビ出演
・TBS1999年6月9日「ニュースの森…文科省、塾に教えを請う」
・テレビ朝日2000年3月11日「林家一平の〈親の目・子の目〉…安心塾探し」
◆新聞取材
・朝日新聞1998年11月30日「あの人とこんな話…自分らしく生きるために勉強という障害も越えよう。その方法を私も考え抜く」
・東京新聞2002年8月14日「不登校と学習援助」、同年12月18日「フリースクール」
◆雑誌取材…多数
◆好きな言葉…「大器晩成」、「リスペクト」
苦手な言葉…「ライバル」
◆嬉しいこと
異年齢のtoBe塾生が兄弟姉妹のように仲良しになってくださること
toBe塾生や本田ゼミ生らと「実存の相互承認」を体感しあえること
toBe塾卒生のお子さんが入塾しはじめたこと
toBe塾卒生が司法試験に合格したこと
勉強に困る子の味方になりたい!
その一心で、20代末に toBe塾 を立ち上げました。
印刷職人の家は貧しく、学問はしたかったので、
日本一学費の安い公立大学の教育学研究科に進学しました。
発達障碍児の支援ボランティア中に患った腰痛に耐えつつ、
学費を稼ぎながら、家族に仕送りするため、
時給の高い家庭教師と進学塾講師の授業に励みました。
結果的に、個別学習指導の研究が、日本の教育学の最大の盲点、と気づくことになりました。
時は折しも1980年代。受験地獄、競争原理、落ちこぼれなどが問題視された70年代に続く
80年代は、登校拒否、高校中退、子どもの人権などが、
中曽根内閣・臨時教育審議会の対抗原理のように語られる時代でした。
勉強に困る人の味方になりたい。
小中高/英数国理社の授業と、個別学習指導法の研究開発は、生涯、続けたい。
身心が丈夫でないので、一条校の常勤教師は勤まりそうにありません。
臨床心理士の妻の後押しもあって、
授業も事務も掃除も全部一人でおこなうtoBe塾を、20代末に開設しました。
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